December 21, 2010

HAPPY HOLIDAYS

オーケストラ、室内楽等のリハーサル、
学科試験、プレゼン、エッセイ、
すべてのファイナルイグザムが終わり
ようやくセメスター終了

ここ数年を思い返してみても
一番キツかったセメスターだった気がする
すべてを終え外に出た帰り道
粉吹雪の中ひとり泣けてしまった
達成感とはまた別物なのだけれど

甘えたいときに甘えられるのは
そういう風に育ってきたからだと言うけれど
本当にそうかもしれないなと思う

さて短い冬休み
シカゴからカリフォルニア
カリフォルニアから日本
そして日本からシカゴへ

マイナス18℃から17℃
17℃から10℃
そして再び10℃からマイナス18℃へ
3週間の間にこの温度差を移動するので
体が心配だけれど
キラキラした日本に
パワーチャージに行こうと思う

今年のクリスマスイブは
ひとり上空という残念な感じになりそう

皆様、よいクリスマス、年末を*
Happy Holiday!!



December 08, 2010

外は雪
そして週末にはマイナス18℃の予報
私のひきこもり度に拍車がかかる
冬も寒いこともとても好きだけれど
それは果てしなく寂しい

けれど日本にいて感じる寂しさと
外国にいて感じる寂しさは
私にはとても別物な気がする

日本は物が溢れていて
狭い島国にたくさんの人が溢れていて
時間が経つのがとても早くて
選択肢がありすぎて
平和すぎて便利すぎて
人とつながれすぎていて
幸福すぎてとても寂しい
日本特有の寂しさな気がする

反対に外国は
日本に比べて物は少なく
お店も少なく
不便を感じることも多く
選択肢も自ずと狭まり
皆あまり働かずでも国は動いていて
土地は広々としていて空も高い
そして一日がとても長い
けれどふと気を緩めると
明らかに自分だけが外国人であること気づき
どうしようもなく心細く寂しかったりする

どちらが良いとかどちらが悪いとか
どちらが好きとかどちらが嫌いとか
そういうことではもう計れないけれど

なんだか外国にいる期間の方が
人生の中で長くなってきてしまっている今
いつも気をつけているのは
どちらか一方にしか住めない人間にだけは
ならないようにしよう、というこ

日本人でありながら
外国に長く住みすぎてもう日本には住めないだとか
日本という島国にしかいたことがなくて
外国にはもう出れないだとか
日本にいても外に出たくてしょうがないだとか
外国にいても日本に帰りたくてしょうがないだとか
そういうことだけはなしにしよう、と
いつも思っている

それでは
身をもって感じられるはずのどちらの良さも
隠してしまう気がするから


さて、
来週からのファイナルウィークを越えれば
ようやくセメスター終わり
大好きな日本が恋しい

November 29, 2010

一週間程のサンクスギビング休暇を使って
実家のあるサンフランシスコへ久々に帰省

母親がご飯を作る包丁とまな板の音
どんなに遅くても父親という男性が
最後に家に帰ってくるという安心感
そういうひとつひとつがきっと子供には
体をつくる成分としてとても必要で
そういうことの積み重ねがきっと
言葉を超えて愛になって
体に染み込んでいくんだな、と思う
そうして私も愛されて育ってきたんだな、と
改めて感じる

小学校の卒業文集などに
将来はヴァイオリニストになりたいです、
などと書くような子供ではなかったので
将来なりたいものは
小さい時から変わらずいつも
サンタクロースか専業主婦
笑い話のようだけれど
今考えてみるとこの二つは
本当は限りなく近いものなのかもしれない 

自分にしか奏でられない音や
私の演奏が聴きたいと言ってもらえること
それを必要としてくれる人がいるとしたら
それはとても幸せなことだけれど
ヴァイオリンをただ"弾く"ことができる人は
世の中にはいくらでもいる

主婦は誰もがなれるもので
一般的でごく"普通"に生きていたら
もしくは自分になにもなかったら
主婦になるしかない、というようなことを
皆口を揃えて言うけれど 
私は違うと思

主婦は誰もがなれるものではない
むしろ一番
誰もがなれないものなのではないだろうか

愛する誰かがいて
その人のために
ご飯を作れること掃除をすること洗濯をすること
その人の子供を産めること
その人をお父さんにしてあげられること
その人が必要としてくれている以上
その人のためになにかをすることができるのは
それはもう世の中で私一人しかいない
それは私にしかできない仕事であり
私にしかできない職業で
とても幸せな選ばれたものだと思う
どんな地位や名誉や光を浴びる仕事も
それを超えることはできない
そんなものは人生の喜びの
なんの足しにもならないと思う

やっぱり私の目指すところは
今も変わらず
サンタクロースか専業主婦

これで幸せ
これが幸せ

November 15, 2010

The Art Institute of Chicago

自宅から徒歩5分の距離にある
たまに立ち寄るシカゴ美術館
フラッシュなしならば
基本的になんでも撮影可能なので
カメラを片手に気分転換がてらぶらぶらと歩く

絵画でも音楽でもそうだけれど
作者が亡くなってから
評価されるようになった作品の多さ
また自己評価と他人の評価のズレ 

私はたいがい
本番での自身の演奏に対する
自分が思う出来の良さと
聴く側からの評価が一致しない 

自分がよかったと思っている時は
いつだってそこまでよくはなく
自分が全然ダメだったなと思っている時は
いつだってそこまでダメじゃなかったりする 
どんな世界でも同じかもしれない

なんとかそこを繋ぎ合わせようと
頑張っていたけれど、本当は
観客と自身の評価が一致しないことが
一致しないことこそが
芸術らしい

一致してしまっては
芸術ではなく商業になってしまうらしい

不一致こそが深く一致する、
ということなのかな

November 11, 2010

11.11.

今日は母親の誕生日

今ではもうすっかり友達のような親子になってしまって
なんかおもしろいことないのー?と
暇つぶしに電話をしてくるような母で笑
離れていても、夜な夜なガールズトークで
盛り上がったりしているのだけれど笑

ヴァイオリンの勉強の為ドイツに渡った時、
小6から高1まで、という思春期真っ直中に
敷居もない一間の家に母娘二人で暮らしていた

子供にとって親はいつも絶対的な存在で、
それ故に、親の間違いや頼りない姿
どこか感情的な人間らしい姿は見たくない、
と思ってしまう
少なくとも私は小さい頃、
親のそういう姿は、なるべく見たくなかった気がする

けれど外国で密接に生きていて、
自分が成長していく中で、
親のそういう面を見なければならないことも
たくさんあった
それがその頃の私にはとてもきつかった

けれど、
あぁ、母も人間なんだな、と気付いてから
私はとても楽になった
今まで母は私にとって絶対的で間違いのない存在だったけれど、
母もただの少女であり女の人であり妻であり母親であり
一人の人間なんだな、と気付いた
だから間違いも自分と違うことも、もちろんある
自分が長女だろうか次女だろうが長男だろうが次男だろうが、
いつになってもその子供がその年になることは
母親にとってすべてが初めての体験で、 
初めてのお母さんなんだな、と思う
そう気付いてから、
怒られることも、ケンカになることも、
なにかをしなさい、と言われることも
もうなくなった
人間と人間が一緒に暮らしている、
人間同士が同じ家族の輪の中で生きている、
という形になった気がする

だから、考え方やしている哲学も違う
でも、あぁ、この人はこういう風に考えるんだな、
でも私はこう思うよ、と
家族の輪の中でちゃんと説明できる
そういう形が出来上がっている
従う必要も合わせる必要も影響を受ける必要も、
本当の意味では、ない 

もちろんいつまでたっても子供にとって親は親で、
また親にとっても、
子供が40歳になろうが50歳になろうが、
子供は子供のままなのだろうし、
私も、いつまでも感謝そして尊敬はできるけれど、
精神的にはもう彼らをずっとずっと超えていかなければ
いけないんだな、と思う

小さい頃、今以上にとにかく移動が多く、
5日おきくらいに違う国を移動していたこともあった
でもそのどこへ行っても、
すべてを手話(ボディランゲージ)で通す母

ある時はロシアに向かう飛行機の中、
小さな飛行機に乗客が3人しかいなくて、
心細すぎて私が泣いていたら、
"マイケル・ジャクソンなんていつもこんなんだよ"と
私を励ますために言い切った母
それはちょっと意味が違う気がするけれど
いつもこんな調子の母

今考えると、
母の方がよっぽど大変だったんじゃないかな、と思う
いつだって、支えられています
ありがとう
父と共に素敵に年を重ねて下さい 

お誕生日おめでとう

November 05, 2010

senior seminar

週に一度様々なゲストを迎えて
将来や人生についてのお話を聞く、という授業がある
音楽をしながらどのように"生きて"いくのか、
ということが主な内容なのだけれど、
いつも感じるのは、
皆ステージに立ちたいんだな、ということ
光を浴びたい、有名になりたい、名を残したい、
と思う人間が世の中にはこんなにいるんだな、と

私は自分が有名になることには
全く興味がなく、幸せを感じない
そんなことは私の魂がちっとも喜ばない 

それでもこういう職業や人生を選んで生きていく以上
嫌でも自分を知ってもらわなければならない時や
名前を売らなければならない時
アピールしなければ繋がっていかない時
自分の作品や芸術を売らなければならない時もある 
また、自分の意図しない場所で
名前だけが勝手に独り歩きすることもある 

だからこういう自分単体の気持ちと
商業的なことをちゃんと交じり合わせるのは
時々とても大変で、
傲慢に聞こえてしまったりするんだけれど、

基本的に私は、
自分が知らない人が自分を知っている、
ということはとても怖いことだと思う
そして、有名になることは
限りなく寂しくて、孤独だ
よく、有名になってから孤独が剥き出しになり
こんなつもりじゃなかった、というような
ことを言う人がいるけれど、
そんなのは有名になる前から想像がつくはず

大事なのは、その先にあるイマジネーションと
自分の幸せがなんなのか、
自分が本当にほしいものがなにかを
明確に自分がわかっていること
自分のことをちゃんと知っていることかな、と思う

例えば私の幸せは、
好きな人と手をつないで街を歩けることだとか
色々な場所を飛び回らずに一っ所に定住すること
毎日毎日同じ日々の繰り返しができること
元の家族ではなく、
自分の先に家族を持つことができ
とにかく自分が思う"普通"ができること
それだけ
それ以上でもそれ以下でもない

だからなにをするにも
目の前になにかがやってきたら
自分の幸せと照らし合わせて
自分の幸せの心の声に耳を傾けて
こっちだな、こうだな、という風に
生きている
その自分の幸せのベースが
とてもはっきりしているので
あまり迷わないし、後悔もない

毎週、様々な人生を聞いて
色々な生き方があるな、と思う
一週間の終わりにあるこの授業が、
週の中で少しずつズレてしまった自分を
またちゃんと取り戻す
とても好きな時間だったりする

November 03, 2010



座右の銘などない
また、夢だの希望だの頑張るだの、
そういう類いの言葉が
私はあまり好きではないので、
"夢に向かって頑張る"とか、
そういう言葉にはちっとも動かされない

だけれど、
たまに立ち止まって開く本がある
水泳の北島康介選手を支えた
平井伯昌コーチの言葉だ

「康介には才能がある。だからその才能を努力して育て、成長させ、咲かせないといけない。才能のある者は、ずっとずっとずっと努力していかないといけない。ずーっと努力することは辛い。才能があるってことは、とてつもなくきついところまでいかなきゃならないってことだ。」

才能がある人というのは、
頑張らなくてもできる、
そして羨ましがられる、
というイメージはとても間違っていて、
本当はとてつもなくきつい場所に
行かなければいけなく、
そしてそこへいっている人。

スポーツ選手は、
タイムや記録などで
目に見えて進歩や退化が日々わかってしまう
反対に芸術家は、
自分が今日どこにいるのか、
進歩しようが退化しようが
日々、目には何も見えない
目に見えないものを追い続ける苦しさと、
目に見えてしまうものを追い続ける苦しさは、
きっと全然別物なのだろうけれど、
たまに立ち止まってこの言葉を刻む

人間皆その人だけに特別に与えられた才能が
あると思うのだけれど、
ほとんどの人間はそれに気付かずに
人生を終えてしまう気がする
だから、もしも私が
少しでもなにかを与えられているとしたら、
それがどんなことであれ
それに気付き、努力し続け、
広い意味でのなにかを
 世の中に返していかなければいけないな、と思う

11月に突入、残り2ヶ月の2010年。
気持ちを新たに。


*写真はSymphony Hallでのリハーサル風景

October 27, 2010

mid-term

毎学期の中間にある試験期間が
ようやく一段落

英語で課せられたあらゆる課題や試験を目の前に
これが日本語だったらどんなに楽だろう、と
毎回思うのだけれど、
英語だから難しいんじゃない
日本語でだって難しいんだ、といつも思い直す
そうすると私は不思議と楽になれる
言語がどうのこうのをとっぱらって
学ぶべき物事だけをみれるようになる
11歳でドイツに渡り
ドイツ語のかけらもわからずに
現地の小学校にぽんと入れられた時もそう
目の前のこの人たちの言っていることは
ドイツ語だからわからないんじゃなくて
きっと日本語でもわからないな、と思って
そこにいた

語学に限らずなんでもそうなのだけれど
なにかの壁を超えることができる人って
なんとかしてそこに居続けられる人なんじゃないかと
私は思う
何かを克服しよう、理解しよう、ではなくて
なんとかしてただそこにいることのできる人
それが真に"超えている"ということなのかな、と思う
努力しない、という意味ではなく
思っていることも伝えられない相手の意思もわからない
なにより居心地の悪い場所に居続けるというのは
容易ではない
できないことへのプライドが邪魔したり
できない自分へのプライドが邪魔したりする
そしてなによりカッコ悪い姿を人前にさらして
その場に居続けるということは、相当キツイはず
だけどそういう場所に身を置き続けられる人は
もうすでに色々を超えているな、と思う 

だから私は
全部を完璧に、は無理な時も
たまには適当に
適度に自分を許しつつ
カッコ悪く悔しい思いをしながら
なんとかしてそこに留まる、
ということをしている

毎日がそれとの戦いだったりする

October 22, 2010

synesthesia

音楽史の中でsynesthesiaを知った
日本語では、"共感覚"と呼ぶらしい 

この"共感覚"を持つ人は、
音に色を感じたり、文字に色を感じたり、
形に味を感じたりする 。
共感覚の中でも、音楽や音を聞いて色を感じるのは
"色聴"と言われ、絶対音感を持つ人の中には、
その割合が高いと言われている。
その他にも、数字、数字の大きさ、
時間単位、人間の性格や姿に色が見える、
人間を目視しただけで触感を覚える、など
さまざまな種類があるらしい。
一言で"色"と言っても、
"黄色い歓声"などの例えで言われている色とは全く別物で、
また共感覚者の中でも、
決して同じ音が同じ色に見えるわけではなく、
個人によって様々だそうだ。

けれど共感覚者は、
他の人間がそれを持っていないことを知るまで、
自分が特別だと感じない、もしくはその感覚を
隠している人も多いらしい。
かくいう私も絶対音感で生きているけれど、
"絶対音感"という言葉が注目されるまで、
世の中に溢れている音がすべてドレミで聴こえることが、
特別なことだとは思わなかった。

共感覚者は芸術家にとても多い。
有名なノルウェーの画家Edvard Munchをはじめ、
フランスの詩人Arthur Rimbaud、
作曲家Rimsky-Korsakov, Franz Liszt, Olivier Messiaenも
そうだったと言われている。
Claude Debussy作曲の"En blanc et noir"("白と黒で")も
synesthesiaのイメージからできた曲と言われている。
魅力的な作品が数多くある。

そして、
例え共感覚者でない人間同士でも、
同じものが同じようにみえているとは
限らないんだなぁ、と思う。
少なくとも人間皆、
それぞれに違ってみえている。
私にとっての明日は赤でも、
誰かにとっては計り知れない色かもしれない。
だから惹かれ合ったり、傷つけ合ったりできる。
そういう風にできているんだなぁ、と思う。

でもだからこそ私は、
生きていて安心できる。

October 14, 2010

大抵の音楽家は
音楽が大好きで
またはその楽器が大好きで
弾いている人ばかりだ
私が出会う音楽仲間もそう
ヴァイオリンが好きで好きで
小さい時からずっと
ヴァイオリニストになりたかったという人が
ほとんどな気がする

話せばいつも驚かれるのだけれど
私はヴァイオリンが好きで
弾いているのではない
楽器同様、クラシック音楽も
全然好きではない
クラシック音楽は
一切聴かない

じゃあどうして弾いてるの? 
と大抵の人は尋ねてくる

けれど
現在の私の師であるShmuel Ashkenasiは
そう聞かなかった唯一の音楽家だ

好きだからやる
嫌いだからやらない
生きていくことや何かをすることは
きっとそういうことではない
少なくとも
私にとってのヴァイオリンが
私の中のそういう位置にない

そういうことを
彼は体でわかっているのだと思う

会うだけで
こんなに心が洗われる人間
また音楽だけでなく
人間としても素晴らしい音楽家に
同じ世界で出逢えることはとても少ない
私は彼に音楽を教わっているけれど
音楽だけでなく
こうして人間力も教わっている

そしてもう一人
私はヴァイオリンが好きではないんです、と
話をしたら
「あぁ、だから弾けるのね。」と
言って下さった方がいる
私の気持ちの二歩も三歩も先を
答えて下さる

こんな読む気持ちの美しい方々に
私の音楽家としての人生は
支えられている

October 11, 2010

私は寒いところが好きだ
寒く暗くモノトーンで夜の長い冬が好きだ
そういう場所、そういう国でしか
私は創作ができない
孤独色が強くなければ芸術が生まれてこない
太陽がサンサンとしていて
ビビットカラーの溢れる
テンションの高い明るい街では
なにも生まれてこない

練習さえ
夜遅く街全体が静んで
世の中に溢れている気が落ち着いてからしか
集中することができない
音がうまく聴けない

そういう意味でもヨーロッパは
やはりクラシック音楽向きだなぁと思う
日本語は上から下へ読む
ヨーロッパの言葉は
左から右へ言葉を読む
楽譜も同様左から右へ読む
もうこの時点で歴史が違う

日本やアジアの演奏家たちは
そんなクラシック音楽の歴史の薄さを
なんとか努力や練習量を増やし
技術でカバーしようとしている気がする

でも決して
血は変えられないということを
日々感じる 

演歌を聴いて育ったつもりはなくとも
血が演歌を知っている
どんなに海外生活が長くても
血は日本人だな、と感じさせられる
それがクラシック音楽をやる上で
越えられない壁でもある
海外に出て体の中に
自然にクラシックが流れている人種を
目の当たりにしてしまうと
もうこれは血との戦いだな、と
感じさせられてしまう 

だから
日本やアジアの街並みとは全く違う
空気の違う街を歩きながら
少しずつ自然な音楽を体に流す
たまのお散歩

冬はマイナス20度まで下がるシカゴだから
 冬の寒さにはまだまだ程遠いけれど
少しずつ秋の気配のする
今日この頃

October 04, 2010

私の周りはなぜか現在プチ婚約ラッシュ

私はウェディングドレスやらお姫様?とやらに
全く興味もなければ憧れもないので
結婚式とかは全然したくないタイプなのだけど笑
結婚というもの自体はとても素敵だと思う

年齢に関係なく、結婚なんかまだしないで
もっと遊んでいたいと言う人もいるけれど
その度に、人で遊ぶなよ、と思うし
結婚すると自分の時間がなくなるのが嫌だとか
自由じゃなくなるとか言う人をみると
一人でいるというだけの、
貴方が思うそのちっぽけな自由ってなんですか?
と思う

自分が一人前になれるまで
自分がちゃんとするまでできないと言う人もいる
でも死ぬまできっとそんなのできない
努力し続けて待っていても時期はきっと来ない
最後はその未完成なままの自分を
誰かにとことん受け入れてもらって
イコールとことん愛してもらって初めて
ひとつの丸になれると思う
いつもどこか欠けていた円が
ひとつの人間の円になれる、と思う

結婚を甘くて幸せなだけのものだとは
決して思わない
だけど私は
一人でいるよりも
結婚して初めて自由になれると思うし
生きていくベースが
自分以外の場所にできて初めて
一人で生きていた時よりも
ずっとずっと精神的にも物理的にも
高く深く飛べると思う

他人と一緒に生きられること
誰かを愛する気持ちが形を変えていけること
幸せだ、と


**Happy Wedding**