October 22, 2010

synesthesia

音楽史の中でsynesthesiaを知った
日本語では、"共感覚"と呼ぶらしい 

この"共感覚"を持つ人は、
音に色を感じたり、文字に色を感じたり、
形に味を感じたりする 。
共感覚の中でも、音楽や音を聞いて色を感じるのは
"色聴"と言われ、絶対音感を持つ人の中には、
その割合が高いと言われている。
その他にも、数字、数字の大きさ、
時間単位、人間の性格や姿に色が見える、
人間を目視しただけで触感を覚える、など
さまざまな種類があるらしい。
一言で"色"と言っても、
"黄色い歓声"などの例えで言われている色とは全く別物で、
また共感覚者の中でも、
決して同じ音が同じ色に見えるわけではなく、
個人によって様々だそうだ。

けれど共感覚者は、
他の人間がそれを持っていないことを知るまで、
自分が特別だと感じない、もしくはその感覚を
隠している人も多いらしい。
かくいう私も絶対音感で生きているけれど、
"絶対音感"という言葉が注目されるまで、
世の中に溢れている音がすべてドレミで聴こえることが、
特別なことだとは思わなかった。

共感覚者は芸術家にとても多い。
有名なノルウェーの画家Edvard Munchをはじめ、
フランスの詩人Arthur Rimbaud、
作曲家Rimsky-Korsakov, Franz Liszt, Olivier Messiaenも
そうだったと言われている。
Claude Debussy作曲の"En blanc et noir"("白と黒で")も
synesthesiaのイメージからできた曲と言われている。
魅力的な作品が数多くある。

そして、
例え共感覚者でない人間同士でも、
同じものが同じようにみえているとは
限らないんだなぁ、と思う。
少なくとも人間皆、
それぞれに違ってみえている。
私にとっての明日は赤でも、
誰かにとっては計り知れない色かもしれない。
だから惹かれ合ったり、傷つけ合ったりできる。
そういう風にできているんだなぁ、と思う。

でもだからこそ私は、
生きていて安心できる。