January 25, 2011


クラシック音楽には言語がない
正確に言うと
言語を超えている、なのかな 
だから地球上のどこへ行っても通じる
言語や人種や地位や名誉や
そういうものを超えて誰にでも伝わる、と
それが故に
世界共通語は音楽だ
と言う人がいるけれど
本当の世界共通語は
数学らしい

完全に右脳人間の私は
数学の答えがひとつしかない感じがもう
あぁ私絶対間違えてますごめんなさい、
と思ってしまい
数字を見るだけで腰がひけてしまう笑
でも
世界共通語は音楽、と言われるより
世界共通語は数学です、と言われるほうが
妙に納得する
わかりやすい、なんて思ってしまう

答えがひとつ、ということ
答えが人の数だけある、ということ
どちらが難しいかは
もうきっと問題じゃない

January 22, 2011


休み明け無事極寒のシカゴに戻り
新たなセメスターの始まり
久々の自分の部屋
天井が高い
また一気にすべてが始まっていくことも
また急に独りになることにも
だいぶ慣れた気がする

久々に音楽関係の友人たちに会い
いつも不思議に思うのは
自分が音楽をしているのに
音楽関連の持ち物を持っている人が
とても多いということ 

自分がヴァイオリンを弾くのに
ヴァイオリンのキーホルダーだの
自身がピアニストなのに
ト音記号のモチーフのアクセサリーだの
そういう人が多い 

ずっとサッカーをやってきた人が
携帯電話にサッカーボールのストラップ
ずっとバスケットをやってきた人が
バスケット関連のものを身につけている 
バンドマンがギターのキーホルダー 

そういうことが私にはよくわからない
わかり易すぎてそのまますぎて
よくわからない

なにかをするということは
人間の心の中の
そういう場所にはないはず

やれ音楽が好きです
やれこの楽器が好きです
だからそれを身につけていますとか
このスポーツが好きで昔からずっとやってきました
だからそれ関連のものが好きで
身につけていますとか

なにかを好きということも
なにかをやるということも
そういうことじゃないと私は思う

同じく
そのなにかをしている人に
それに関連するものを贈ろうという感情も
私にはよくわからない

例えば野球選手に
バットやグローブのモチーフのものを贈っても
もらった相手はとても困るんじゃないかなと
思ってしまうから
そしてもしも優秀な野球選手が
バットのキーホルダーを付けていたら
なんてつまらない人間だろうと
思ってしまう気がする

この人からこれを取ったら
なにも残らない人間にだけは
ならないようにしたい
本当に好きで本当に真剣で
本当にひとつをやっているなら
もっと人間の中の大事な場所にあって
隠すべき感情があると思う


*写真は実家近くの
Stanford University内の教会
年中暑くあまり好きではないカリフォルニアで
唯一好きな場所

January 05, 2011

謹賀新年

 
日本で迎えるお正月

着物を纏った演歌歌手の歌う
演歌の流れるテレビ番組をぼんやりと見つめながら
以前、クラシック音楽の歴史の薄いアジア人が
その音楽を本当にやろうとする以上
最後には血との戦いになる気がする、と書いたことを思い出す
 普段はあまり聴くことのない演歌でも
血に演歌が沁みている、
細胞が演歌を知っている、と感じるから

同じく以前、こんな話を聞いた
本場ウィーンの歴史あるヨーロッパの舞台で
ドイツ人に囲まれクラシックを聴き
とても感動したけれど
雪がしんしんと降り積もる真冬の青森で
雪降る街特有の静寂な雪景色の中
激しい三味線の音色を聴いた時は
ウィーンでのクラシックとは比べ物にならない程の感動で
鳥肌がたった、と

それだけ母国の文化はもう
どんなに無視していても
気付かぬうちに人間の中で勝手に
生きてしまっている、
ということなのかもしれない

色々を感じ色々を選ぶことのできる人生を
生かせてもらっているからこそ
どう生きていくかを考えることができる

物事はそもそも嫌いなものを頑張って好きになる
というのが本質で
自分の外に好きなものを探すのではなく
自分の内に好きなものを探すもの
好きなものは外から得るのではなく
元々自分が持っているものだと言われるけれど
本当にそれが本物なんじゃないかなと思うので

好きになること
頑張って好きになること

節目を意識してもしょうがないけれど
それを考えて今年も生きていけたら、と思う
目標を立てそれに向かってしまうと
どうしても気持ちの向かない日がでてきてしまうので
日々一日を目の前のものを
ちゃんと生きていくということを一生の宿題にして
今を生きる、というありふれた意味ではなく


*今年もよろしくお願い致します*
Happy new years everyone!!