October 21, 2011

私の恩師であるアシュケナージ氏は以前私にこう聞いた
でも時々理由を考えないくらい好きなものってないか?
とにかく直接心にくるものがあるはずだ
そして後から理由を見つけて、さらに好きになるものがある
音楽はそういうものじゃないか?と

私がクラシック音楽を嫌いな理由を
彼の前で淡々と述べたときだったと思う

私はどうしても音楽をしている人間自身と
その人の奏でる音楽自体を切り離して考えることができない
だからどうしたって人間として欠陥している人の奏でる音楽は
好きになることができないし聴く気持ちにもなれない
音楽以前に人間として素敵だと思える人の
奏でるものでなければ耳を傾けられない
そのかわり人間として素敵だと思えるものはなんだっていい
その人をよく知らずともどんな人間かを
わかってしまう瞬間はいくらだってあるから

そして誤解を恐れずに書くと
私は音楽界でその音楽以前に素敵な人間に
今まであまり出逢ったことがないのだ

私が普段関わっている数少ない友人達は皆
音楽関係ではない人間たちばかり
良い取り方をするならば
音楽以外の場所で共に過ごすには
音楽家はみんなとても壊れすぎている
そしてそのことにあまり気が付いていない気がする

そんな中でアシュケナージ氏は
人間としてもとても素敵だと思える
私が出逢った唯一の音楽家なんだけれど

彼はそんな私の理由に
それはとてもわかるよ
人間と音楽を切り離して考えられないのもわかる
日常関わりたいと思う人間が音楽家の中にいないのもとてもわかる
でも、音楽だよ。音楽の話だよ、と何度も仰った
そして、確かに壊れた人がたくさんいる
おかしな人はたくさんいる
人間として最悪な人もいる
でも人間として最悪でも
その人のする音楽は素晴らしい時もあるよ、と
そういう彼らは人間としての良い部分を
音楽に捧げてしまっているからなんだ
そして音楽で補っているんだよ、と

例えば「ヴァイオリニストの王」と称されたハイフェッツ
彼はプライベートでは最悪の人間だった
でも音楽は素晴らしい
ベートーベンもそう、彼は人間として壊れすぎているし
シューマンもおかしくなってしまった
でも彼らのする音楽はただただ素晴らしい
すべてを音楽にとられてしまっているからね、と
でも中には人間としても素晴らしい人もいる
バッハやハイドンは人間としてもとても良い人だった
そういう人たちももちろんいるけどね、と

私の拙い日本語訳がどこまで彼の言葉の本質を
捉えらることができているのかはわからないけれど 
半世紀ほどの年の差のある彼と交わす言葉で
胸に留めておいたものがすっとおりるときがある

生きている中でできるだけ色々な人と出逢い
沢山の人と話す必要は本当にない
決められた人間との決められた一瞬の時間に
こうしておりてくるものが本当に必要な残るものなのだから

October 06, 2011

ブログを始めて早一年

私は小学校4年生で初めて手帳を買ってもらった日から
今日この日まで毎日一日も欠かさず日記を書いている

70歳になってからの1日と
15、16歳から20代前半ぐらいまでの1日とでは
日々の速度や変化がきっと全然違うのだろうし
そのとても繊細で微妙な時期は気付いたらあっという間に
通り過ぎてしまっているものなんじゃないかなと思う
だからこそ、そういう日々をなにかに残せたらと毎日書き留めている

でも書く内容は、今日どこどこへ行き何々をした、
というようなことではなく、
今日こういうことを考え、思い、こういうことを感じた、ということ
どうしても書く気分になれない日も、何も書かないのではなく、
どうしても書く気分になれなかった、と書くようにする
一言、それだけを
そうして初めて手帳を手にした日から私の日記は続いている

ブログもそれによく似ていて
たまにこのブログをみて下さっている方から
どうしてあぁいうブログなんですか?と尋ねられることがある
どういうブログが普通なのかわからないけれど
私は芸能人でもアイドルでも何者でもないし
例えばコンサートの情報や打ち上げの写真
美味しかった食べ物の写真などを自分の顔写真と共に載せても
私はそういうものを読みたいと思わないので
そういうことは書かないようにしている、ということ

書きたいことだけを書いているというよりは
書きたくないことは絶対に書かないようにしている。ひとつの言葉も。
そして、うまく書こう、わかりやすく書こう、という気持ちも
なるべく無視して書く。なにも付け足さずに。
自分の内から出てくる自分の言葉だけを選んで。

これからも細々とですが
書くことで浄化される気持ちがある限り
続けていけたらと思っています
よろしくお願い致します: )