May 21, 2012

アメリカではセメスターが終わり卒業式の季節

以前の室内楽仲間やルームメイト、プレゼンの課題が出る度に
私のプレゼンを事前に何度も聞き、チェックしてくれた友人、
寮のスタディールームで
お互い一言も話さず夜を徹して共に勉強した友人、
アメリカ人をはじめ、ヨーロッパの人たちや同じアジア人の
たくさんの友人たちが、SNSに卒業式の写真をアップデートしたり
やっと卒業できたよ!とメールをくれたりする

友人もそうだけれど、写真に写る懐かしい教授たちの顔ぶれに
あぁ、もう二度と戻りたくない!と思いつつも笑
懐かしさがよぎる

日本という島国にはほとんど日本人しかいないけれど
アメリカは人種のサラダボールと言われている通り
それこそ本当にたくさんの人種が混在していて
物理的にも精神的にも
同時にたくさんの種類の人間に出逢うことになる

そこでいつも思うことは
あたり前だけれど
外国で生きる限り私はいつも日本人の代表であること

私はなるべく
たった一人のアメリカ人がとった言動や行動に対して
"アメリカ人は"とひとくくりに形容しないよう気をつけているけれど
相手にとって私はたった一人の日本人なのだから
私がとる言動や行動によっては
良くも悪くも"日本人はこうなのか"と思われかねない
誰々は、と名前で言われるよりも
ナニジンは、と人種で形容されることが圧倒的に多い

私の外見だけを見て、初めて会ったアメリカ人に
中国語や韓国語で挨拶された時のなんとも言えない気持ち

台湾人の子が
中国では〜なの?と聞かれて
ものすごく強い口調で
"中国じゃなくて台湾です!"と言う時の気持ち

でもだからこそ
どんなに国同士が仲が悪くても
例え国交のない国同士でも
人間同士であればいい関係を築くことができるんだなと
アメリカにいて思ったりした

私は小さい頃、首都を覚えるのが好きで
世界中の色々な国の首都を覚えていた
その中でも特に印象に残っているのが
スリランカの首都である
スリジャヤワルダナプラコッテ
なんて長い名前の首都なんだろうと
とても興味深かった
どこにあるんだろう?どんな場所なんだろう?と
小さいながらに未知の場所に思いを馳せていた

だからアメリカで
そのスリジャヤワルダナプラコッテから来た人が
講義で隣に座っていた時の感動ったらなかった
スリランカから来たというから
スリランカのどこ?と
まさか…!と思いながら尋ねたら
首都のスリジャヤワルダナプラコッテから来たヨ!と
自分が想像していたものとは全く違った発音で
教えてくれたのだ

中国の反日感情についてのニュースや
それに対する日本人の中国人への誹謗中傷を
アメリカにいる仲良しの中国人と
なんでもないことのように一緒に読んでいたこともある

一人の人間対一人の人間ならば
こんなことが可能なんだな、と思った

平和なことがすべてではないし
平和なことがいいことだとは思わないから
全世界が平和になれば、とか
人種を問わずみんなで手をつなげたら、なんて
全然思わないけれど
そういうものとはまた別の次元の別の気持ちで
誰であろうとどんな人種であろうと
みんなに同じ分量で
卒業おめでとう!と思う


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*写真*
Emma Freemanさんが大学のホームページ用に
撮って下った写真たち
まさにサラダボールな大学のオーケストラの写真と
コンバスが全員弾いているのに
ファーストヴァイオリンのセクションに
私一人だけというとても不思議なシチュエーションの写真…笑