October 18, 2012

サンフランシスコにある
海沿いのレストラン

遠方からの来客があり
こんな時しか機会がないからと
父と母が新婚旅行で来たというこのレストランに
それ以来、実に云十年以上ぶりに行くことになった

月日がまわりまわって
まさかその場所に私が一緒に行くことになる日が来るなんて
海の向こうに見えているのは
昔、シカゴの有名なギャング
アル・カポネが収容されていたとも言われている
アルカトラズ島

壮大な海を目の前に頂くクラムチャウダーは
ある意味とても現実的だけれど
それはそれは美味しくて

無理に作られた丁寧な接客でも
また無愛想でもなく
ただ淡々とお料理を運んできてくれるウエイター
日本でのように嫌でも無意識に
他の人たちの会話が理解できてしまう煩わしさも
ここにはなくて
海の音や他の人間のたてる音、そして言葉も
すべてがただの音に聞こえる
こういうことが私にとっての
外国で暮らす好きなところの一つでもある

他人のことなんてどうだっていい、と
いい意味でほんとうに思える瞬間

October 17, 2012

天井から差してくる神聖な光

溜まりに溜まってしまった写真たちを
少しずつアップデート
シリコンバレーにある実家の
すぐ近くにあるスタンフォード大学内の教会
Memorial Church
私はクリスチャンでもなんでもないのだけれど
教会に行くと昔からいつもとても安心する

それぞれがそれぞれのことを考え
それぞれの時間だけを使って
言でただそこにいるからかもしれない
こういう場所にいると
祈ることと赦すことがふっと突然理解できたりする

ヨーロッパで暮らしていた頃の生活には
いつもどこかしらで教会の鐘の音が鳴っていて
外国特有の木々や風景と共に
そこにまた音楽があった

アメリカは歴史が薄いので
ヨーロッパの教会のような趣まではいかないけれど
ここはアメリカの中ではとても好きな教会の一つ
こんな大きなパイプオルガンまで 

練習の合間にちょこちょこと出かけて行っては
音楽から離れた自分を整えたくて
この空間にただただ自分を沈ませたりしてみる
でもここでバッハの無伴奏でも弾いたら
とても綺麗だろうなぁ、なんて
結局は音楽家っぽいことを考えたりしながら

October 04, 2012

Sedona

旅行嫌いの私が
友人の訪問も手伝って重い腰をあげて行ってきたセドナ
スピリチュアル、癒し、またパワースポットとしても知られる街

折角この街まで来たんだから、と
初めてサイキックリーディングなるものをしてもらうことに

軽い気持ちでいた私は
小部屋に通されサイキックリーダーなる方にお会いした途端
「あなたは小さい頃から大人の内の内にある嫌な部分や本当の気持ち、周りの人間のことがよくわかりすぎて、みなくてもいい部分までみえてしまって苦しかったでしょう?それは今もそうね。それで自分のことを周りや人のために使ってずっと生きてきたのね。自分の人生ではなくて、周りが生きてほしいあなたの人生を優先してきた。でも今度はあなた自身の番よ。周りがあなたにどう生きてほしいかではなくて、自分が本当に幸せだと思うことだけを考えなさい。周りはもう関係ないのよ。」と一息に言われて
突然のその言葉にぽろぽろと涙が出てきてしまった
もう自分が本当に幸せだと思うことだけに生きなさいと
はっきりとそう第三者に言ってもらえることの安心感


そして少し落ち着いてから
「あなた、音楽がすごく合ってるわね。でもあなたの使命は、音楽だけじゃなくて、カウンセラーみたいなことよ。後々は色々な人があなたにアドバイスを求めてやってくるでしょう。自分の演奏活動もそうだけれど、人に教えることも、とても合っている。なぜならあなたは音楽だけじゃなくて、人に人生を教えることができるから。あなたの音楽や言葉で救われる人がいる。あなたは音楽や言葉、文章を通して、人をカウンセリングする力がある。それは一生の使命としてこれからもずっと続けていきなさい。でもそれはあなた自身もやりたいことだからいいでしょう?」と。 

他にもたくさん
守護霊の方のお話や実際に何月に〜があるよ、というような
ちょっと怖いけれど物理的なお話まで
でもそれはすべて、当たってる!というような
占い的なそれとは全然違う魂の言葉で 

良い言葉がたくさん詰まっていたので
セッションを録音しておけたらよかったな、と思ったのだけれど
その時胸にこみ上げてくるものは
やっぱり録音では得られないものだか

後々忘れてしまったとしても
それでも必要な言葉は絶対に残るし
何をどうしたって忘れないだろう


セドナ以外では
たまにこういう方にみて頂ける機会があるのだけれど
いつも一番素直に思うのは
突拍子もなく違う人生を歩んできていなくてよかったな、ということ

ちゃんと自分に合った
与えられたものを生かした人生を歩んでこれていてよかったな、と
ものすごく合わないことをやっていたり
魂の方向とは全然違う方を向いてしまっていたり
いるべき場所とは全然違う場所で生きてしまっていたら

そうはなかなか思えない
でもそうではないから
何を言われても、どんな言葉を頂いても、
いつも、あぁそうなんです、とちゃんと聞くことができ

腑に落ちる言葉としてとても納得できるから
本来与えられた魂や能力、現世でこれをやりなさいと
与えられた学びや経験とは全然違う方向にいっていたら
それはそれで今ある苦しみや寂しさとは

また全然違った苦しみになってしまっていると思うのだけれど
そういう意味では
しなくてもいい苦労や試練は通っていなくて
ちゃんと経験しなくてはいけない苦労や試練だけを
やらせてもらえている人生なんだな、と思える

そう思えることが一番の安心でもある

でもこういうものをただ頼りにしているだけでは
何の意味もなくなってしまうし
最終的には自分だけの人生だから
こういうものも超えていかないといけないな、と改めて思う 


*写真*
絵の具で描いたような青い空、とよく喩えられるけれど、
写真加工は一切なしで、この空の青さ。
真っ青な空と赤土のコントラストがどこも素敵だった。
セドナに着いただけで、肌がビリビリしてきたり、
肌から金粉が出てしまう人もいるとか。
私は残念ながら?そんな反応は全くなかったのだけれど笑、
でもセドナに降り立って一つ思うことは
世界は広いな、ということ。
それは行かなくてもわかっていたことだし、
取り留めもないけれど、ほんとうにそう思った。
遥か彼方の島国で起きていることなんて、
嫌な言い方をするならば、もう本当にどうでもいいし、
そしてさらにこんな小さな自分の周りの出来事なんて、
もうほぼほぼどうでもいいことばかり。笑
でもそう感じさせることができるのが、
自然のすごさであり、パワースポットという意味なのかな、と思う。