June 25, 2013

King of Stradivarius "Da Vinci" Concert

"Da Vinci"(1714年製) "Romanoff"(1731年製) "Lord Norton"(1737年製)と
三本のストラディヴァリウスが揃い
先日行われたClassic for Japan主催 "Da Vinci Concert" 

(株)H.I.S.代表取締役会長・ハウステンボス(株)CEOの澤田秀雄氏や
ワタミ創業者のわたなべ美樹氏をはじめとした錚々たる方々がお集りの中
私は、ストラディヴァリウス・サミット・コンサート2013でも
ベルリンフィルのメンバーが弾いていた
1731年製「ロマノフ」を弾かせて頂きました

ストラディヴァリウスは
"鳴らせる"までにはかなり時間がかかると言われていますが
出逢って手にした時の最初の距離が
楽器と自分とのお互いの歩み寄りで
時間と共にだんだんと縮まっていく時の感覚は
ほんとうに生き物のようで
人間はあまり好きとは言えないけれど
とても人間っぽいなぁ、と良い意味で感じられる
得難い貴重な時間でした

ヴァイオリンドクターである中澤宗幸氏から語られた
ストラディヴァリウスの歴史や
演奏後に色々な方々とお話しする中で改めて感じたのは
音楽はやっぱり一人でしか聴けないものなんだなぁ、ということ
あたり前だけれど
同じ空間で同じ音を聴いていても
二人として全く同じようには聴こえていない
こういう音自身だけのことを究極に突き詰めて考える時
あぁほんとうに人間は一人なんだなぁと改めて思う
でもそれは悲しいことではなく
それぞれに届く音がそれぞれに違うのは
素晴らしいことなんだと
こういう素晴らしい楽器こそが教えてくれたりする

June 14, 2013

友人がふと差し出して下さった
茂木健一郎著「すべては音楽から生まれる~脳とシューベルト~」
にあった言葉

「音楽はすべての芸術をつかさどる。
絵画、詩、小説・・・・・ありとあらゆる「芸術」がこの世には存在するが、音楽は、他の芸術とは一線を画するように感じられる。最も生命原理に近い、生命哲学の根幹にかかわる、とでも言おうか。実際、古代ギリシャ以来、音楽は、芸術論の中枢だと認識されてきた。特にヨーロッパ文化においては、音楽を芸術の一ジャンルとしながらも、倫理や精神、さらには創造性の原点としてとらえる思想が、今日にも受け継がれている。それは、「音楽」の語源にも象徴されている。英語で言えば、「music」。これは、ギリシャ語の「musike」から生まれた言葉であり、「ムーサの技」「ムーサのつかさどるもの」という意味だ。ムーサとは、「ミューズ」のギリシャ語名「ムーサイ」の単数形。すなわち、ギリシャ神話における人間の知的活動をつかさどる女神のことであり、「musike」という言葉には詩や舞踏といった美的行為も含まれていたことがわかる。つまり、「music」という語それ自体は、知的表現と不可分な意味合いを持つ言葉であって、「音」という意味は持たない。ここが、日本語で「音楽」という時に想起されるもの・・・・・リズムや音程といった、「music」と比べると限定的で狭義のイメージ・・・・・との違いかもしれない。芸術の神ミューズから直接降り立つもの。命にかかわるもの。古来、音楽を奏でること、音楽を聴くことは、生の本質であるとさえ考えられていたのである。音というものを梯子にして地上に降り立ったミューズ、すなわち「music」の象徴の微笑を、私は探し続けている。それを生み出す物は音だけではなく、思考や情動、生命の躍動とも呼ぶべきものではないだろうか。このように考えるとき、音楽は芸術の一形態を超えた存在として、私の前に現れてくる。」


こういう音楽の意味に出逢える時
自分のしている音楽を好きになることが
今でもひとつの壁である私にとってそれは
大きな大きなきっかけだったりする

音楽っていいな、と手放しでは思えないけれど
あぁ、悪くないな、とほんとうに思えるから