October 08, 2013

とある日
珍しい恵みの雨のあとに
自宅練習室の窓に現れたダブルレインボー

次に控えたコンサートにて
クァルテットバージョンで演奏予定の
ベートーベンのピアノコンチェルトを聴きながら
男性の演奏ってやっぱり素敵だなぁと思う

ふといつも思うのは
様々な職業の中でもかなりの割合で
極めた先にあるものは男性なんじゃないかと思う

ピアノやヴァイオリン、弦楽器管楽器、
その大概の楽器が、私は男性が演奏する方がしっくりきてしまう
画家を含め芸術家以外にも、
パティシエ、寿司職人、映画監督、経済界の方々などなど
皆何となくそれに当てはまる気がする
料理は女性がするもの、という感覚の人間もいるし
女性の作る母の味もある
けれど例え料理であっても、極めた先の最終形は男性のもの、
という感じがする

私は自分を含め
女性という生き物自体があまり好きではないので
なおさらそう感じるのかもしれない
もちろん例外もあるけれど
女性特有の何となく言葉では説明しづらい不安定さや
子宮で考えると言われるようにロジカルシンキングではないこと
色々な事柄が彼女ら自身の中で勝手に
誇張されたり控えめになっていたりして
ほんとうは10だったものが100になっていたり1になっていたり
生き方や感情に波がある
なんとなくそういう生き物のすることに
信頼が持てない感じがしてしまう

だからだろうか
好みの問題と思ってしまえば
きっとそうなのだろうし
もちろんそういう不安定な生き物であることが
芸術を通すことで良い方向に反映され
そのものにしか奏でられない音楽もあるのかもしれないけれど
どんなに素晴らしい女流ヴァイオリニストの演奏であっても
うぅ、気持ち悪いところで歌うなぁ、という
媚を売るような生温い色気を音楽の中に感じてしまい
なんだか痒い気持ちになってしまう
男性巨匠陣のような
視覚ではオーバーなことは何一つなく
ただただシンプルで無駄のない
届く音色だけが勝負の音楽になかなか出逢えない 

さらに突き詰めて言うならば
歳を重ねたおじいさんの演奏はもっと素敵だなぁと思う
死が近い感じが強くする
人間皆死との距離は同じはずだから
おじいさんの方が若者より近いということは必ずしもないのだけれど
何となくゆっくりとした死の近づき方が演奏に滲み出ている
そしてそれこそが、音楽の本来の姿な気がするのだ