November 14, 2013

Elliott Carter Tribute Concert

先日行われた
エリオット・カーター トリビュートコンサート

今まであまり深く関わることのなかった現代音楽
私はアメリカの音楽大学で学んだこともあってか
あまりメジャーでない作曲家の曲であっても
アメリカ人作曲家の作品に触れる機会は
ヨーロッパで学んでいた頃より多かったように思う
けれどただ"勉強"をした曲と実際に自分で演奏するのでは
もちろん全然別物の難しさがある

今回弾かせて頂いた
"4 Lauds for solo violin"という曲
4つの小品が集まっている中の一つが
米テロ9.11の時に書かれたということもあって
音を出す度にいろいろな情景が浮かんでしまい
何度も楽器や精神をもっていかれてしまったし

様々な楽器編成を織り交ぜながら
すべてエリオット・カーターのプログラムで構成されたコンサートを通して聴き
最後の最後に残った気持ちは
やっぱり「よくわからない」だった
真面目な気持ちでほんとうにそう思った

自分がわかっていないということを知っている人間の方が
わかっていないことを知らない人間より良いなどと言われているけれど

「わかる」ことなんて他人とは共有できないし
自分以外の人間とわかり合うことなんて
永遠にないと私は思う
例えお互いがわかるよ、と言い合っても
その人の理解の分量は
自分のそれと完璧に一緒ではないのだから
そしてそんな馴れ合いは求めてもない

「わかる」と言う人のわからなさ
そして「わからない」と言う人の深いわかり方

結局何事も
わからないということがすべてなんじゃないかと思う
今回改めて関わった現代音楽やカーターから受け取ったものは
そんなメッセージだった気がする

次はラテングラミー賞授賞式でのコンサート
また新しい音楽、新しい世界がある

*写真*
フライト前、搭乗ゲートにて。
野球やサッカーを差し置いて、アメリカでは何よりも人気なスポーツ、
アメフトの試合に夢中なアメリカ人たち。